へたれた正月がテーマですし、これでいいことにします(滝汗)。
本編では頑張って桃鯉に好意をアピールしてるので(あれでも)、上手くいくといいと思います。
[2011年 12月 26日]
今年の十月、僕──唐華真古人は十八歳になる。
この国では年明けに一つ年をとるので、すでに十八歳。立派な大人の仲間入りだ。子供の時分は無邪気に待ち望んでいた年齢ではあるけれど、今は憂鬱で仕方がない。
十七歳のときは匂わせる程度だった縁談が、今は、それこそ掃いて捨てるほど持ち込まれているからだ。これは非常に困った事態である。
「はぁ、元旦から毎日これだと・・・・・・。さすがに疲労感を覚えるよ」
唐華本家に用意された僕のための客間、本来なら束の間の休息を取るための場所に山と積まれた釣り書き。それらを前に、長いため息を吐く。
巷は未だ正月気分を引きずって浮かれ騒いでいるというのに、僕ときたら朝から晩まで釣り書きとにらめっこなのだ。愚痴の一つも言いたくなる。
これも唐華流の次期宗主としての仕事だと言われれば、否応もないけれど・・・・・・。
正直に言って、目の前にある釣り書きをすべて庭に投げ捨てたい気分だったりする。
僕とて十八歳の健全な男子。会ったこともない女性の姿絵を見る暇があるなら、好きな子に恋文でもしたためたい。たとえ、文を手渡せる確率が一厘もなかったとしても、だ。
「そう思わないかい、桜之助、梅之助?」
せっせと釣り書きの整理をしている供のカラクリ達に同意を求めると、
「「ソノ通リ デ ゴザイマス」」
即座に同意してくれた。
・・・・・・ありがとう、この屋敷で僕の味方はお前達だけだよ。
年末年始は流派の会合や、他流派との合同宴席も目白押しで殺人的な忙しさだったから、とうとう牡丹さんと桃鯉に年越しの挨拶もできなかった。
ほんの少し期待していたけれど、案の定というか、筆不精の桃鯉から代わりの年賀状はこなかった。牡丹さんと上総さんからは届いているのだから、これは結構、泣ける。
ちなみに牡丹さんは腕利きの美人傀儡師で、僕の憧れの人だ。桃鯉はその牡丹さんの一人娘で、とにかく元気で明るい幼馴染みだ。客観的に判定すれば、そこそこの美人だけど、僕の判断基準ではものすごく可愛い子になる。笑顔がとても素敵だ。
桃鯉は修理師の見習いだけど、もともと傀儡師を目指していたぐらいだから、今でも僕と対等に話ができる。仕事で補佐についてくれたら、本当に楽になると思う。
まぁ、下心がなきにしもあらずではあるけれど。
桃鯉は僕の初恋の人で、片想い歴も十年になろうかというところなのだ。
僕より二つ年下の十六歳だから、いつどこで誰かに見初められてもおかしくない。いや、あんなに可愛い桃鯉が、今まで無事だったことがおかしいぐらいで・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・・いや、別におかしくはないか」
そう、桃鯉のそばには容赦なく悪い虫を追い払う人がいる。僕の眉間に皺が寄った。
人がこうして不毛な刻を過ごしている間も、牡丹さんの作った・・・・・・いや、それはないか。桃鯉の作った・・・・・・うーん、可能性としてはこっちかな。自分で作った豪勢な正月料理と、とっておきの酒でも持ち込み、三人でどんちゃん楽しくやっているのだろう。
あの人は、色男のくせに家事と育児が得意だから侮れない。
「──僕も年始の挨拶に行こう」
今日は一日、溜まりに溜まった釣り書きの確認という名の選別作業を言いつけられていた。宗主であるお祖父様からの命令は絶対だ、絶対。逆らうなんてとんでもない。が、何事にも例外はつきものである。
「そうと決まれば、さっさと雑用を片づけてしまうかな」
このなかから、見合い相手を決めればいいだけの話だ。顔合わせをしたら、即座に祝言を挙げなければならないわけでもない。要するに、義理事である。頭を使うまでもない。
「桜之助、梅之助、この部屋にある釣り書きを二等分して、それぞれの手札としろ。その後、自分の手札を賭けてじゃんけん勝負をするんだ。わかっていると思うけど、引き分けはなしだよ。勝負がつくまでじゃんけんをしろ」
そうして勝者の手札だけを取りまとめて再び二等分し、じゃんけん勝負をしていく。この単調な勝負を幾度か繰り返せば、最終的に釣り書きは一つになる。
「最後の一つは、縁起がいい釣り書きだ。僕が帰宅するまで床の間に飾っておくように」
神妙な顔つきで耳を傾けている供の二人に、僕は厳しく命じた。
「「了解シマシタ」」
優秀な二人は数秒後、命令通りの行動を取っている。あの様子なら、二刻もせずに終了するだろう。
手筈を整えれば、僕の心は楽しみ事へと飛んでいく。せっかく年始の挨拶に行くのだから、手土産の一つも必要だ。甘味なら、まず失敗はない。見た目も綺麗な正月用の干菓子なんて、どうだろう?
「となると・・・・・・〔うさぎ屋〕かな?」
僕は手早く身支度をして、自由を満喫するために客間を後にしたのだった。
「真古人様・・・・・・でございますね?」
「そうですが、貴女は?」
呼びとめられたのは、唐華本家を忍び出てすぐの四辻でのことだった。
一刻も早く、桃鯉の許へ向かいたいところだけれど、紅も鮮やかな晴れ着姿の美女を無碍にもできない。女性には優しく。そういう風に、僕はお祖父様から厳しく躾けられている。
「私は〔佐野堂〕の松尾でございます」
〔佐野堂〕といえば、蝋燭灯篭の大店だ。そこの三女の松尾さんは看板娘で、年は十七歳。常連客から「松尾太夫」なんて持ち上げられている美女だ。
噂に違わずの美貌ではあったけれど、牡丹さんの圧倒的な艶やかさにはほど遠い。まぁ、傾国の美女と比べる方がいけないのだろう。
「それは火急の用件でしょうか? 僕でなければいけませんか?」
急いでいるのだと匂わせると、松尾さんが不気味なほど綺麗な笑みを浮かべた。
「では、単刀直入に申しますわ。私との縁談をお断りになった理由を教えていただけますか?」
「はぃ?」
予想外の言葉に、僕はうっかり間抜けな声を漏らしてしまった。
縁談も何も、まだ釣り書きの選別作業中なのだ。
これは恐らく僕を素通りして唐華本家の者に直接、釣り書きを手渡したというところだろう。お祖父様に袖の下は通じない。
・・・・・・通じないけれど、お祖父様は女の人全般に弱いからなぁ。 まず間違いなく、松尾太夫自らがどこぞで、お祖父様を待ち伏せをして釣り書きか、それと同等のものを手渡した。安請け合いをしたはいいものの、僕に話を通す暇もなく刻だけが過ぎていった、というところだろう。
なぜ、お祖父様の尻拭いを僕が・・・・・・。これも次期宗主の役目なのだろうか?
気は進まないが、事が事だけに唐華本家に駆け込まれても面倒だ。
第一、僕の逃亡が知れ渡ってしまうではないか。これは仕方ない、僕は愛想笑いを顔に貼りつけて華やかな美女と対峙する。外面のよさなら、こちらも負けてはいないのだ。
「理由はいくつかありますよ。唐華家は御存知の通り、カラクリ作りを生業にしています。つまり、僕の子供は傀儡師であることが必須です」
「存じております」
「なるほど、話が早くて助かります。では、嫁入り後は貴女に最低五人、子供を産んでいただかなくてはなりません。それも有能な頭脳と頑強な身体を持った男子を」
「えぇ!?」
これには、松尾さんも小さく悲鳴を上げた。
当然だ。自分で言っていて「いや、五人はないだろう」と思うが、表情には出さない。
「理由が必要ですか? 簡単に言ってしまえば、確率の問題ですよ」
十人、有能な傀儡師見習いがいたとする。そのうち晴れて唐華流の傀儡師として腕章を受けることができるのは、たった一人である。
僕の子供は自動的に宗主となる運命だ。有能な傀儡師として、また老獪な上級役人達とやり合う明晰な頭脳はもちろん、日々の鍛錬に耐えうる頑健な肉体も必要だ。根性もあれば言うことなし、といった説明を淡々としていく。
「さすがに十人も産めとは申しません。ですから、貴女の他にも、僕の子供を産んでいただく女性を複数人作る予定です」
「まぁ、妾を持つとおっしゃいますの?」
「はい、これは現宗主も容認してくださっています。当然、妻となるべき女性にも理解していただかなくてはなりません」
ですが、麗しき〔佐野堂〕の松尾太夫、貴女は何も苦境に身を投げることはありません。どうぞ、お好きな殿方と添い遂げてください。
そう続けるはずだった僕の言葉は、
「そうですか、わかりましたわ」
という醒めきった言葉で断ち切られた。
「真古人様のお考えはよぅくわかりました。私とは相反するものですわ。ですが、ここまできては、こちらとしましても引き下がれませんの」
本気ですか・・・・・・? 僕は嫌ですよ、子作りがすべての愛も夢もない新婚生活なんて。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
無言で見詰め合うことしばし──、沈黙に耐えきれなくなったのは僕が先だった。こうなってしまっては恥も外聞も何もなく、腰を深く折る。心まで折れそうだ・・・・・・。
「申し訳ありませんっ、今の話はすべて忘れてくださいッ!」
「・・・・・・・・・・・・え?」
「あの、僕には心に決めた人がおりまして・・・・・・。えぇと、まだ気持ちを打ち明けるまでには至っていないのですが、はじめて会ったときから生涯の伴侶と決めていて・・・・・・。つまり、貴女と見合いをして、その人にあらぬ誤解をされると困るのです」
しどろもどろに情けない片恋の状況を伝えると、松尾さんのまとった雰囲気が一瞬、和らいだ気がした。まぁ、それは気のせいだったけれど。
「その幸運な御方は、どなた様ですの?」
美人は怒らせると怖い、とお祖父様がよく口にされているがまったくだ。口では「ほほほ」と言いながら、僕を上目遣いに見やる切れ長の目が少しも笑っていない。
「・・・・・・・・・・・・」
ここで桃鯉の名前を出せば、牡丹さんの自宅兼作業場まで乗り込んでいきそうな雰囲気が濃厚だ。それは困る、非常に困る。仕事の邪魔を一番嫌うのだ、牡丹さんは。
正月から憧れの人に派手に怒鳴られるなんて事態は避けたい・・・・・・。何より桃鯉の機嫌を損ねるのは、絶対に嫌だ。
「・・・・・・いえ、その人に迷惑がかかるので・・・・・・ちょっと」
「その御方の氏素性がわかるまで、私は退きませんわよ」
・・・・・・だから、自分の容姿に自信のある人は苦手だ。
これが竹を割ったみたいな性格の桃鯉なら、「それじゃあ、しょうがないねぇ」なんて言ってあっさり退いてくれるだろう。姐御肌の牡丹さんなら、激励を込めて背中の一つも叩いてくれるはずだ。
「・・・・・・あの、ですから・・・・・・・・・・・・その、」
「まさか、この場を取り繕うための方便ですの?」
後から思えば、なぜ、そんな人選をしてしまったのか自分でもわからない。
けれど、この頑迷な美女を軽くいなしてくれそうな人は、そのとき「彼」しか思いつかなかったのだから仕方がない。
「・・・・・・僕の想い人は・・・・・・傀儡師の、上総さんです」
傀儡師の、を頭につけたのは僕の親切心であって、別になくても大丈夫だったらしい。“老いも若きも女性すべてに顔が利く”という噂は本当だった・・・・・・。
それが証拠に、松尾さんは今までが嘘のようにパッと顔を輝かせた。
「上総さん、これでおわかりになったでしょう?」
そう、そのおわかりになった上総さんです・・・・・・────って、えぇ?
「えぇ、よぅくわかりましたよ。真古人君の心に決めた人が誰なのか、ね」
苦笑いを含んだ艶かな声と同時に、脇から右肩を軽く叩かれた。
「か、上総さん!?」
惜しげもなく色っぽい流し目をくれる美青年に対して、僕は素っ頓狂な声を上げざるを得ない。正月から何て悪夢だ。
「いやはや、そうだったのですか。ちっとも気づきませんでしたよ、てっきり真古人君は誰かさん一筋だと思っていましたからねぇ」
「・・・・・・・・・・・・」
この瞬間、僕は自分の完敗を悟った。上総さんにはめられた、らしい。
「まぁ、そうでしたの?」
松尾さんがそこらの犬の仔でも見るような視線を投げつけてくる。僕は完全に恋愛対象外になっている。それを狙っていたはずなのに・・・・・・。おおむね狙い通りだったはずなのに、どうして上総さんがからむと、こうまで腹立たしいのだろうか。
「・・・・・・・・・・・・上総さん、どうしてここに?」
「そろそろ御曹司が本家を飛び出して、桃鯉君に会いにくるだろうと踏んで待っていたのですよ。まさかねぇ、私に会いにくる気だったとは。ふふふ、私も罪な男ですねぇ」
「ちょっと待ってください! 僕は桃鯉と」
一緒になりたいんです、と最後まで言葉を発することは叶わなかった。
上総さんの後ろから、ひょいと桃鯉が顔を出してきたからだ。きっちり切り揃えられた前髪が揺れて美人の代名詞、富士額がのぞく。
「真古人、元気だったかい?」
大きな目が真っ直ぐに僕の心臓を射抜く。か、可愛い。
「・・・・・・・・・・・・桃鯉、もいたんだね」
し、心臓に悪い登場の仕方は兄弟子譲りなのか・・・・・・。
あれだけ大騒ぎしていた松尾さんは、上総さんと大歌舞伎を観に行ってしまった。頬を染めつつ、上総さんの三歩後ろを歩いていく様子は、誰が見ても恋する乙女だった。
呆然とする僕の袖を引いたのは、桃鯉だ。馴染みの甘味処で正月限定《松竹梅あんみつ》を食べようと誘ってくれたのだった。
「美味しいねぇ、これで完食すればタダなんだよ! 気前がいいったらないね?」
隣りに座った桃鯉が満面の笑みで、大量のあんこを口許に運んでいる。店内の長卓は満席で、女性客は皆似たような顔つきで幸せそうに甘味を食している。至福のひととき、といった様子だ。
「・・・・・・うん、そうだね」
匂いだけで胸焼けのする山盛りのあんみつを前に、僕は乾いた笑みを浮かべる。
幼い時分に禁じられていたせいか、甘味は総じて苦手だ。この中毒になりそうな甘ったるさは、上総さんに通じるものがある。要するに、毒だ。
『せっかくの告白の機会を自分で踏み潰すとは、御曹司も大概にしませんとねぇ』
去り際、耳許で囁かれた侮蔑の言葉が苛立ちと共に蘇る。
一応、上総さんも唐華流に所属する傀儡師。僕の置かれた状況は先刻、承知だった。
正月は元旦から唐華本家に引き篭もっていた僕が、そろそろ逃げ出す時分だと踏んで松尾さんを適所に「配置」したというわけだ。
その理由は──松尾さんとの見合いを断る話の流れで、僕が桃鯉に間接的に告白できるように、ではない。絶対に違う。そんな優しい人じゃない、上総さんは。
「そういや、さっきの松尾さんって人、上総兄ぃにゃ負けるけど綺麗だったねぇ」
しみじみと桃鯉がつぶやく。
恐らくあんみつの入った塗り椀の模様から、松尾さんのきらびやかな晴れ着を思い出したのだろう。僕としては、晴れの日でも普段と変わらない質素な桃鯉の方を好ましく感じるけれど。
「桃鯉、比較する対象が違うと思うよ」
「そうかい? じゃあ、真古人にゃ負けるけど綺麗な人だったねぇ」
「・・・・・・いや、それも違うと思うよ」
相手が桃鯉でなければ、僕は母様譲りの女顔ぐらいしか褒められる場所がないってことだろうか? と自嘲するところだ。
けれど、桃鯉に限って他意はない。純粋な褒め言葉である。
「・・・・・・ぁ・・・・・・ありがとう、桃鯉」
照れつつも口にすると、桃鯉は礼を言われる意味がわからないという顔をした。そういう、おおらかなところも大好きだ。
「けどさぁ、真古人のお嫁さんになる人は大変だね」
「・・・・・・っ」
危うく飲みかけのお茶を吹き出すところだった。
「桃鯉もあの話を聞いていたのかい? ど、どの辺りから?」
「『唐華家は御存知の通り、カラクリ作りを生業にしています』ってとこからだね」
ほぼ最初から、ってことだ。これは、かなり分が悪い・・・・・・。背中に一筋、冷や汗が流れ落ちていくのを感じつつ、僕は決死の思いで弁解を開始した。
「あのね、桃鯉。はじめに断っておくけど、あれは勝手に押しかけてきた女性を煙に巻くための方便なんだよ」
また会えない日々が続くというのに、このままの状態で桃鯉を帰すのは危険だ。悪乗りした上総さんにあれこれ吹き込まれて、妙な勘違いをするに決まっている。
「あの人、真古人の見合い相手じゃないのかい?」
「違うよ、ぼ・・・・・・僕は、好きな・・・・・・」
心底、好きな子がいるから、見合いなんてしないよ。
もちろん、桃鯉が僕の子供を産んでくれるなら五人でも六人でも大歓迎だよ。だったら、桃鯉に似た活発な女の子がいいな。名づけは僕に任せてくれると嬉しいのだけれど・・・・・・。
そんな風に交際の申込みをすっ飛ばして求婚できるくらいなら、十年近く片想いはしていない。僕は気持ち悪いぐらい激しく脈打つ心臓に手を当てて、「落ちつけ、落ちつけ」と心の裡で繰り返す。
「好きな?」
「好きな仕事に打ち込みたいから・・・・・・まだ所帯を持つなんて考えてないよ。それに他に女の人を囲うことなんて絶対にしない。僕は妻一人を生涯、大切にするつもりだから!」
秋里寮の敷地に離れを新築して、誰の邪魔も入らない新婚生活を送るつもりだ。仕事の息抜きに、二人で中庭を散策できたら幸せだなぁ。
「大丈夫、真古人なら素敵なお嫁さんをもらえるさ!」
バシンッと一発、背中を叩かれた。
桃鯉は花も恥らう乙女にあるまじき豪腕の持ち主だから、少しむせてしまったけれど、励ましの言葉は素直に心に染みた。
「はは・・・・・・そうかな、そうだといいんだけど」
照れ笑いをする僕に、あはは、と豪快に笑い返してくれるのが無性に嬉しい。
いつだって、桃鯉は僕のちっぽけな悩みなんて笑い飛ばしてくれる。桃鯉が大丈夫だと言えば、僕は大丈夫。それは小さな子供の時分から、ずっと変わらない。これからも変わらない。
たぶん、僕は桃鯉には一生、勝てない気がする・・・・・・。
「後学のために訊きたいんだけど、桃鯉はどんな人が理想の夫なんだい?」
初恋の人が、国民的英雄の黒劉斎なのは仕方ない。東華央国の女の子なら全員が通る道だから、今さら嫉妬はしない。
「理想の夫なんて、よくわかんないけど・・・・・・。年上でも年下でも、あたしより腕っ節の強い男と女が理想だね!」
こ、これは訊かない方がよかったかもしれない・・・・・・。
自慢にもならないが、僕は桃鯉に荒事で勝てたことがない。普通の相撲は言うに及ばず、腕相撲でも指相撲でも勝てない。剣技で何とか面目を保てる程度だ・・・・・・。
「ごめん、桃鯉。できれば、比較対象は男にして欲しいんだけど」
みっともなく食い下がってみれば、「じゃあ、上総兄ぃより強い人にしとくよ」と言って、僕の希望を粉々に打ち砕いてくれた・・・・・・。
桃鯉は誤解している。外見は色事に強そうな優男だけど、実際は恐ろしく腕が立つ人なのだ、上総さんは。そうでなければ、寡婦となった傾国の美女と可愛い一人娘が日々、無事に過ごせるはずもない。
実際、僕も裏から手を回して、流派の手の者や警備使達に彼女達の警護をさせている。去年、牡丹さんの自宅兼作業場の周辺をうろついていた不審者は二桁、強盗未遂は五件にもなる。同業者のやっかみを含めても、多過ぎだ。
もう少し、牡丹さんが自分の影響力を自覚してくれれば助かるんだけどなぁ・・・・・・。
もしくは牡丹さんが再婚をするか。僕としては、一番弟子の上総さんと上手くまとまって欲しいところだ。彼は桃鯉の育ての親で兄弟子だけど、血は繋がっていないのだから油断は禁物だ。名実共に父親になってもらいたい。切実に願う。
「桃鯉だって、父親がいたら嬉しいよね?」
「何だい、藪から棒に」
黙り込んでいた僕が急に関係のない話題を振ったものだから、桃鯉は目を丸くしている。
「・・・・・・あ、いや、こっちの話で・・・・・・。まぁ、一概にも言えないかな。父親がいてもいなくても一緒の場合もあるしね」
ある事故で妻を失ってから、すっかり陰の薄くなった自分の父親を思う。
それほどまでに打撃を受けるなら、本妻の目など気にせず、生きている間に大事にすればよかったのだ。・・・・・・あの優柔不断で気の弱い性格は反面教師としよう。
「父さんがいなくても、母さんも上総兄ぃも真古人もいるよ。カラクリ達だっているし、あたしはさみしくなんかないさ!」
裏表のない桃鯉が寂しくないと言えば、その通りだ。僕が安心しかけたところで、
「ただ、年の暮れから母さんの具合がよくなくてさ。大丈夫だって言うけど、場所が心臓だしさ。ちょいと心配なんだよ」
桃鯉の顔に暗い陰が落ちた。牡丹さんの気性を考えると、弱い自分は絶対、一人娘に見せたくないだろうから、これは相当に悪い。心配だ。
「・・・・・・御医師には、もう看てもらったのかい?」
「うん、疲れが出たんだろうってさ。家にいてうるさくするのも何だし、真古人のとこに行く途中だったんだ。──あ、母さんのことは人には黙ってるように、上総兄ぃから口どめされてたんだったよ」
「ふぅん、上総さんから口どめされてたんだ」
なるほど、なるほど・・・・・・。
「そうだっ、ゴタゴタしてて、真古人に年賀状を出しそびれちまったよ。ごめん」
「そんなことは構わないよ、桃鯉」
僕のことなんて何かのついでっぽい感じがしないでもないけれど、そんなことは何でもない。たった今、桃鯉は僕が咽喉から手が出るほど欲しかった情報をくれたからね。
へぇ、そういうことですか・・・・・・上総さん。
矜持の高い牡丹さんを大人しく療養させるためには、障害となる桃鯉をうちから連れ出さないといけない。それだけでは、まだ不十分だ。
僕が桃鯉に会うため、理由をつけて牡丹さんの自宅兼作業場を訪問すれば、彼女はおちおち休んでもいられないだろう。僕は腐っても唐華流の御曹司だからね。
つまり、上総さんは頑固な師匠にきっちり療養させるため、どうしても僕の訪問を食いとめたかったのだ。そのために僕をダシにして桃鯉まで連れ出した。さすがだ、無駄がない。
けれど、何て人を喰った策なんですか・・・・・・上総さん。
しかし、面倒臭がりの上総さんも、敬愛する師匠のためなら手の込んだことをするのだ。
「ははっ、まったく・・・・・・」
あの人も素直に、僕と桃鯉に協力を申し出ればいいものを。 僕はもちろん、桃鯉にも強い手札の上総さんより上位札は牡丹さんだ。そうかといって、彼女は最強札ではない──僕には、それなりに気を遣ってくれるからね──から面白い。
「何だい、あんみつに面白い仕掛けでもあったのかい!?」
何も知らない桃鯉に、大人の思惑をぶちまけてしまってもよかったけれど、
「ごめん、桃鯉。ただの思い出し笑いだよ」
・・・・・・いや、だって、あの人は怒らせたら後が怖いから。
久し振りに桃鯉と楽しく過ごせても一歩、店の外へ出れば憂鬱が襲ってくる。
今日は唐華本家には戻らず、理由をつけて秋里寮に篭ろうか? 黄昏気分で空を仰げば、白いものがちらほら降ってきた。雪だ。
「わぁ、初雪だよ。まん丸で白玉みたいだねぇ」
実に、桃鯉らしい感想で微笑ましい。
「ねぇ、桃鯉。寒いから、て・・・・・・て、手をつないでもいいかな?」
上総さんの企みに乗ってあげたのだから、このぐらいの役得はあっていい気がする。
よく考えてみたら、あの人は病床の師匠を放って取り巻きの一人と逢瀬を楽しんでいる。どうにも納得がいかない上に、酷く腹立たしい。
「あたしは別に寒かないけど・・・・・・。風邪でも引き込んだんじゃないのかい? あんた、顔色が悪いよ?」
朝から釣り書きに悩まされ、逃亡先では上総さんの毒気にやられ、桃鯉の理想から自分が大きく外れていることを思い知らされた。顔色だって悪くなるだろう、それは。
「・・・・・・はは、朝からいろいろあってね。でも、桃鯉の顔を見たら、これでも元気が出てきたんだよ?」
今の状態で「元気が出てきた」のだと知って、桃鯉はものすごい勢いで僕の両手を取った。女の子らしい優しい手だ。落ち込んでいた心臓が一気に駆け出す。頬も熱い。
「早く帰って寝た方がいいよ、真古人! 一人で歩けないなら肩を貸すからさ!」
違うよ、体力は問題じゃないんだ・・・・・・。十八歳の健全な男子が女の子と手をつなぎたい理由なんて、一つしかない。好きな子にほんの少しでも触れたいだけなんだよ、桃鯉。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ」
桃鯉と手をつないで町なかを歩く、これを今年の目標にしよう。
「真古人、どうしたんだい?」
でも、まぁ好きな子に心配されるのも、たまには悪くない。
地の底まで沈み込みそうだった気分が浮上して、言いたかった言葉の代わりに、寿ぎの一言を口にすることができたのだ。
「あけましておめでとう、桃鯉。今年もよろしく」
[2011年 12月 26日]